幕間

「顛末を話したところで、誰一振りとて彼を突き放すような刀はいなかった。それは彼にとって救いであり、辛い戒めだっただろう」
 激しく降り続いた大粒の雨はいつの間にか、音もなくしとしとと泣き続ける小雨へと変わっていた。相変わらずどんよりとした雲に切れ目はできず、時折冷たい風がガゼボの中をかき混ぜてゆく。
「……しかし、君と一緒に過ごした一ヶ月の間で彼は大きく変わった。一切笑うことのなかった顔に、淡い笑みが灯ったんだ」
 閉じた瞼に浮かんでは消える、男の背中。たった二十年前をこんなにも、懐かしく思う日が来ようとは。
 やがて静かに目を開けた鶯丸は、遠い霧の中に霞む山々に想いを馳せた。
「それからは、あの日のことが嘘だったかのように穏やかな日々が続いた」
 笑顔が咲く中心にはいつも男と彼女がいた。彼女が笑えば、彼も微笑む。彼女が泣けば、眉間に皺を寄せた彼が足早に男士たちの間を往復し静かに慌てる。完全無欠で鉄仮面のような男が初めて見せた、人の子らしさ。強く厳しく、人からも付喪神からもまるで神のようだと言われた男は、いっそう強い光をその双眸に宿した。
 そして、彼は少しだけ弱くなった。
「いつまでもこんなのんびりした刻が続けば良いと願わずにはいられなかった」
 鶯丸は、静かに笑った。
「結局、お嬢を連れてきてから一ヶ月後……時の政府から呼び出しがかかった。あの男は用意周到だったな。まず、俺と明石以外の他の刀の顕現を解いた。あるべき刀の姿へ戻し政府付きの刀剣にすると契約した上で俺と明石、そして……幼いお嬢を連れ、政府機関へと向かったんだ」
 鶯丸は、隣で無言を貫く彼女に視線を向けることができずにいた。自身の左腕を掴む手が震えていることが少し気懸かりで、言葉に詰まる。
「……彼の断罪が始まる直前だ。彼はお嬢を俺に抱かせた上で、言った」
 世界の真ん中にぽつんと二人、取り残されたような心地だった。苦しみにも似た痛みが、震える唇を通して、春時雨の灰色へ昇ってゆく。
「この子が二十歳になったら全てを話せ。その後はお前の刃生尽きるまで、全力でこの子を護れ」
 最後の主命だ。
 そうつけ加えた鶯丸の声が、僅かに震えて雨音に溶けた。
 その後、裁判が行われる部屋に入る主と明石を見届けてからは記憶がない。気づいたら、言葉にならない言葉を話す幼子をあやしながら、今の本丸の縁側に座っていたのだ。
 大きく息を吐きながら、鶯丸はベンチの背もたれに寄りかかり目を瞑った。
「何故、あの男は近侍の俺を道連れにしてくれなかったのか。……それだけは、どうしてもわからないな」
 ぽつりと染み入った鶯丸の声。それを皮切りに彼女の嗚咽が漏れ、鶯丸の左肩に僅かな重みが乗る。
 父親の過去。自身の出生。一番近い存在である初期刀の秘密。
 彼女はどれから、受け止めきれなくなったのだろう。
 二十年前、己の腕の中でめいっぱい感情を主張して泣いていた赤子が今、その感情を押し殺すように、こぼれ落ちる涙を堪えている。
 ぎりりと奥歯を噛みしめた鶯丸は、顔を覆い身体を震わせる彼女の肩に手を回し、力強く抱きしめた。