幕間

「お嬢の父親はとても、とても強い人だった」
 鶯丸は口元に小さな笑みを浮かべた。通り雨に見えた空の雲はいよいよ厚くなり、光を断って泣いている。
「頭脳明晰。容姿端麗。冷静沈着。些か冗談は通じなかったが、完全無欠と言えるくらいに出来た男だ。ああ、そしておまけにもうひとつ。彼が秘めた無尽蔵ではないかと思えるほどの霊力は、化け物か、もしくは俺たちと同じ類いのモノのようだった」
 ――それって、褒めてるの。
 彼女が眉を顰めて笑う。
 ――褒めているさ。
 彼女の左手に重ねた右手を握りしめ、遠くを見つめた。
「時間遡行軍との戦いが始まって、そう長くない。どの審神者もこぞって手柄を争う中、若くして彼は時の政府から彼自身の本丸を与えられた」
「努力に勝る天才無し。持って生まれた審神者としての素質に傲ることなく、彼は一心に修行に励んだ。一振りまた一振りと俺たちを顕現させては、着実に力を蓄えていった。度重なる時間遡行軍との闘いで、歴史改変を防ぐ。その功績は度々、時の政府に称えられた」
「お嬢と同じ齢の頃の彼は、どんな逆境でも信念と正義を曲げない、ますます芯の強い男になっていた。連隊戦でも検非違使との対峙でも、顔色ひとつ変えず冷厳な態度で状況を判断する。第一部隊が壊滅状態に追いやられて帰還したときでさえ、決して取り乱すことはなかった」
「不甲斐ない。時にはそう言って敗北した部隊を叱責することもあった。その厳然たる姿は、俺たちですら彼を神々しく思えるほどだった」
 ――それに比べて、昨日の私は情けなかったかな。
 彼女は、俯いた。
 ――まさか。俺は昨日のお嬢の背中に主の面影を重ねていた。あれはもっと、なにを考えているかわからないような男だったがな。
 鶯丸は薄く笑い、降り頻る雨に葉を揺らす庭の樹木に目を細めた。
「敢えて欠点を上げるとすれば、笑顔のひとつも見せない奴だったということか。鶴丸国永に驚かされようが短刀たちにくすぐられようが、にこりともしない。表情に乏しい彼を、人の子は陰で【鉄仮面】と揶揄していたようだ。同業の連中はさぞかし、冷たい男だと思っていたことだろう」
 ―まるでお嬢とは正反対だな。
 くつくつと愉快そうに喉の奥で笑い、鶯丸は隣をちらりと窺う。
 ―ちょっと、馬鹿にしてるでしょ。
 そして、頬を膨らませてしまった彼女を宥めるように、ゆっくりと頭を撫でた。
「だが、俺たちはお嬢の父親を冷血だと思ったことはない。何故なら彼は、過酷な指令であっても一度たりとて刀を折ったことがなければ、手入れ部屋へ足を運ばない日も無かった。それが全てだ」
 底まで語り終えた、鶯丸の唇が一文字に結ばれた。過去を懐かしむように想いを馳せる双眸が翳る。彼の膝の上にそっと置かれた、彼女の小さな手。絡んだ視線が揺れている。
 躊躇する俺に寄り添うつもりか、と、鶯丸は苦笑した。
 ここから先は、春の悪夢だ。――否。夢ならばまだ救いようがある。
 唇を噛みしめながら閉じた、瞼を縁取る長い睫毛が震えていた。
「ただ、な」
 雨脚が強くなった。雲を突き抜けていた日差しはなくなり、二人の世界には大きな影が落とされる。一瞬、目映い閃光が辺りを照らし、地鳴りのような轟きが大地を襲った。春の訪れを告げる春雷のはずが、それが連れてきたのは不穏な過去と未来。
「決して何者にも屈することがない、強いあの男が一度……たった、一度だけ。顔を歪めて嗚咽を漏らしたことがあった」
 雷鳴に驚き震える彼女に手を伸ばし、鶯丸は細い肩をそっと抱き寄せた。
「あれは、彼がお嬢を本丸に連れてきた日のことだ」